最近の2ちゃん系まとめやネットニュースを見ていると、やたらと
「上級国民」
という言葉を目にする機会が増えたように感じる。
いや、感じるというより明らかに「上級国民 」という単語がネット上で目に付くようになった!間違いない!!
気になって上級国民の意味を調べてみると、ネットスラングのようだ。
上級国民という言葉が広まった経緯は、2015年に騒動となったデザイナー「佐野研二郎」氏が巻き起こした東京オリンピックのロゴパクリ疑惑事件が元となっているようだ。
何やら、この騒動が炎上した後に佐野研二郎氏のロゴ採用が取り下げられた際、選考委員長の会見にて
「しかし、一般国民がこの説明を納得することは難しい、問題あり」
「専門家の間では通用してわかりあえる、一般国民は残念だが理解しない」
上記のような「一般市民」という発言をした直後に作られた言葉らしい。
明らかに差別的な発言をした選考委員長の言葉にネット住民達の怒りの反応が「上級国民」という言葉を生み出させたのだ。
つまり、上級国民の意味というのは日本には一般市民に対して、より特別なレベルの高い国民が存在しているという事・・・
そして2017年現在、この「上級国民」という言葉は確実に一人歩きしており、言葉の起源や本来の意味とは明らかに異なる使われ方がされ始めている。
単刀直入に言えば、格差社会が広がる現状の日本において、ある意味で負け組にカテゴライズされてしまっている
低所得者やニート
などが
自分自身をを卑下する
時に使っているのである。
私は、この流れは非常にマズい事態であると強く懸念している。
何というか、完璧に格差社会における住み別けというのが始まっており、弱者がドン底の人生から這い上がろうとする努力を完全に諦めてしまった現れだと思うからだ。
まともな考えならば、自分より豪華な生活をしていたり、人から尊敬されているような仕事をしている人を目の辺りにした場合は、
自分自身がもっと頑張らなくては
と思うのが、人間としては正しい思考だと私は感じる。そうやって人は成長して行くし、誰だって努力をすれば今よりも確実に稼げるし人に認められるのだから。
しかし、少しでも自分より上だと思った人間に対しては
上級国民
という呼び方をして僻む。明らかにネガティブ過ぎる思考であるし、ある種の精神的な疾患を疑ってしまう。
この社会的現象というのは、かなり危険であると私は強く懸念している・・・資本主義が当たり前の日本・・・いや、グローバル社会において格差社会の底辺を自ら受け入れて諦めてしまう人間が増えるのは明らかに異常事態である。
2020年には東京オリンピックが行われるが、私はこの時の日本人同士における格差というのは今よりも強烈なものとなっていると確信している。
ヤバい未来・・・想像したくはないが、「上級国民」などという馬鹿げた言葉を使う人が増えている現状を見る限りは、その未来というのは既に確定路線なのかもしれない。